太宰治と津軽三味線が生まれた地「金木」の旅!立佞武多の五所川原!

東北旅行

☆青森一周旅行シリーズ 2018年8月4日(3日目)☆

(出典www.its-mo.com/search/area/02/)

皆さんこんにちは!

今日は弘前駅から金木(かなぎ)駅に向かい、津軽三味線や太宰治記念館などを見て回ります。その後は五所川原で行われる立佞武多を鑑賞します(*^^)v

弘前駅から金木駅まで

弘前プラザホテルの部屋からの眺めです。奥に見える緑の木々は弘前公園です。あちらには明日向かうことになります。

朝食のビュッフェです。色んな料理があるのが嬉しいですね!」今日も歩くのでたくさんいただきます♪

まずはJR奥羽本線で弘前駅から川部駅に向かいます。

ここで9時2分発のJR五能線リゾートしらかみ2号(全車指定席)の秋田行きに乗り換えます。

本当は普通電車で行きたかったのですが、この前後の普通電車では早すぎたり遅すぎたので、今回は有料電車を使用することにしました。

五所川原駅に到着しました。本日から立佞武多祭りのため、立佞武多がホームに飾られていました。

次は津軽線で津軽五所川原駅(五所川原駅と同じ場所)から金木(かねぎ)駅に向かいます。JR五所川原駅と津軽線津軽五所川原駅は直結していますが、間もなく電車が発車するので急いで切符を買いホームへ走ります(;゚Д゚)

津軽線では観光案内アテンダントさんが津軽について楽しくガイドしてくれました。

津軽線は冬には「ストーブ列車」に代わり、車内で温かいストーブの火にあたることができます。

また、アテンダントさんが東京に行ったとき、「傘をかぶる(傘をさす)」「雨がこぼれる(雨が降る)」といった方言で通じず戸惑ったことや、お赤飯が甘くない(津軽のお赤飯は甘いのです!)ことに驚いたお話を聞かせてくれました。

なお、アテンダントさんは普段は制服だそうですが、ねぶた祭の時期はねぶた祭Tシャツを着るんだそうです。Tシャツが欲しい人は電車で買うこともできます。

 

津軽三味線記念館

着きました、金木駅です!

金木は津軽三味線発祥の地です。まずは津軽三味線記念館に向かいます。金木駅から徒歩7分です。


こちらが津軽三味線記念館です。

ちょうど津軽三味線の生演奏をやっていたので鑑賞。渋くて迫力のある音色を楽しめました。

売店では三味線のグッズや、撥(ばち)が販売されていました。写真手前の撥は95,040円もするんですね!( ゚Д゚)

こちらは津軽三味線の歴史や作り方の展示や、名人の紹介がされている展示場です。残念ながら撮影が禁止されていたので写真は投稿できませんが、津軽三味線の起源について知ることができました。

津軽三味線を広めた名人と言われる人たちの多くは、病気で失明し生きる術を三味線に求めたそうです。また、「当道座」というところに入らない限り学ぶことは許されず、その他の人に教えることも禁止されていました。

しかし、明治4年の廃藩置県の勅令により、藩の解体とともに当道座も解体しました。それによって芸能も開放され、座頭たちが演じていた芸を誰がどのように演じてもよくなり広まっていったのです。

 

斜陽館

次は太宰治の父である津島源右衛門が明治40年に建てた斜陽館です。津島源右衛門は大地主で、貴族院議員でした。

なお、津軽三味線記念館と斜陽館は目と鼻の先にあり、両方の共通券(900円。別々で購入すると各500円)があるので金木を観光される場合はぜひご利用ください。

 

ここからは斜陽館の造りや展示物を一部ご紹介します。

 

青森ヒバ

斜陽館は青森ヒバという木をしようしているそうです。この木は高級で、総工費は約4万円でした。

 

え、4万円?

 

なんと現在の7~8億円に相当します(;゚Д゚)

 

土間

ここは土間(たたき)広さが三十坪あり、収穫時には大勢の小作人が米俵を積み上げ、米の検査が行われた場所です。検査が終わると、小作米は米蔵へと運ばれました。

 

板の間、台所

板の間は幼少の頃の太宰がよく遊んだ場所で、ご飯を炊いたり、七輪の炭火で調理をしていました。床下には木炭や薪を収納した場所や、冷蔵庫として使われた「室」と呼ばれる収納庫があります。

 

建物の奥には大変立派なお庭が広がっています。こちらに降りることは禁止されていましたが、池には黒い鯉が悠々と泳いでいました。

 

島津家御仏壇

島津家は浄土真宗東本願寺の宗派でした。上の写真は島津源右衛門が京都の仏壇店に特別注文したもので、高さ189cm、幅115cm、三方開きで、すべて開くと幅は4メートル程にもなります。神々しくて立派なお仏壇ですね!

 

二重回しのマント

太宰治は二重回しのマントを好んで着用していました。こちらのマントは金木町民の好意により寄贈されたものだそうです。

 

太宰治像

こちらは五所川原市が2009年に太宰治生誕100年を記念して、日本芸術院会員・文化勲章受章者である中村信也氏に依頼、制作された芦野公園にある太宰治像の原型です。

東京都三鷹市の自宅周辺を散歩している写真を参考にして制作され、猫背で苦悶の表情を浮かべる姿は、作家としての顔と日常を生きる太宰治の両面を表現しています。

 

なお、こちらの像が設定されている奥には様々な展示がされていました。残念ながら撮影は禁止されていたためご覧いただけませんが、中には太宰治直筆の原稿や家族への手紙などが展示されていました。

 

階段

こちらは二階へ続く階段です。しっかりとした手すりや柱の階段で、途中から二つに分かれ目的の部屋に行きやすい構造になっています。

 

書斎、母の居室

こちらは太宰の母の居室であったと言われています。次兄・英治の話によると、夏休みには寝ころんで小説を読んだり、レコードを聴いたりして兄弟が良く遊んでいた場所で「書斎」と呼ばれていました。

 

主人室

こちらが津島源右衛門の居室です。貴族院議員となってからは、東京での暮らしが多くなり、家に戻るのは一、二ヵ月に一度で滞在は一週間ほどでした。

源右衛門が51歳で病に倒れ亡くなった後は、長兄の文治が使用していました。

 

金襖の日本間

こちらは「金襖の日本間」です。金襖の間と隣室の銀襖の間は、遠方からの来客や議員たちが通された来賓室として使われていました。

 

以上が斜陽館です! 太宰治は幾つかの代表作のことしか知りませんでしたが、斜陽館を訪れたことで、生立ちの様子や当時の人柄、エピソードなどに触れることができました(‘ω’)ノ

 

金木観光物産館マディニー

こちらは斜陽館と津軽三味線記念館の間に位置する金木観光物産館マディニーです。お土産屋さんと食堂が入っています。

お酒やTシャツなど、たくさんの太宰グッズが販売されていました。

お腹がすいたので、こちらの食堂でご飯をいただきます。

こちらが太宰治が好んだ具が入っているという名物の「太宰ラーメン」です。細長いタケノコとワカメがあっさり醤油味のラーメンによく合います(*´▽`*)

食べ終わると太宰治の小説『津軽』の一節が!こちらには以下のように書かれていました。

「汝を愛し汝を憎む」

「私には、又別の専門科目がある 世人は仮にその科目を愛と呼んでいる。」

「さらば旅人よ、命あらばまた他日。元気でいこう。絶望するな。では、失敬。」

まるで旅行中の自分にあてられたメッセージのようでほっこりしました(*´ω`*)

 

太宰治疎開の家|旧島津家新座敷

ここは太宰治がたくさんの小説を執筆した部屋がある場所です。大正11年島津家邸宅の裏に離れとして建てられ、太宰が没した昭和23年に現在地に移されました。

こちらが新座敷の間取り図です。ここから各部屋をご紹介します。

十畳間

こちらが十畳間です。太宰治は長く実家と疎遠になっていましたが、昭和17年に久しぶりに帰郷し、このお部屋で重態の母を見舞いました。作品『故郷』では当時の様子が描かれています。

なお、2年後の昭和19年には私が前日に訪れました津軽の龍飛岬を旅しています。

洋室

こちらが洋室です。重態の母を見た太宰はこの部屋に向かい、涙を流すまいと必死にこらえたそうです。また、終戦後に太宰を訪ねる文学青年たちと交流した部屋でもありました。

寝室、居間

太宰は終戦直後の昭和20年に、美知子夫人と幼い二児を連れて新座敷に疎開し、再上京する翌年までここで過ごしていました。手前が寝室で、奥が居間です。

太宰治の書斎

そしてこちらが太宰治の書斎です!!!太宰治はここで約20作品を執筆しました。

小説家の角田光代さんや、お笑い芸人の又吉さんなど、沢山の小説家や本が大好きな人がここを訪れ、太宰治が執筆していた部屋の座布団に座っています。又吉さんは「又吉と行く太宰治ツアー」を実施し、座布団に30分座っていたとか(笑)

テーブルの上の紙には、小説『故郷』の一節が記載されていました。

せっかくなので私も記念に座らせていただきました!!(≧▽≦)

なんか文章が上手くなった気がしました(笑)

 

以上が金木町の観光です!

他にも太宰治ゆかりの地や、太宰治文学碑などのスポットもあるのですが、時間の兼ね合いでこちらは次の機会にすることにしました。

 

立佞武多|五所川原ねぷた

立佞武多の館

金木駅から津軽五所川原駅(JR五所川原駅)に戻ります。

駅の周辺は、今日から始まる立佞武多祭りの見学客でいっぱいです。

駅から5分ほど歩くと、「立佞武多の館」に到着です。こちらは立佞武多の作成場所でもあり、過去2年間披露された立佞武多と、今年に初登場する新作の立佞武多の保管場所でもあります。また、立佞武多の歴史や構造などについて知ることができる施設にもなっています。

1階はお土産屋さんやねぷたグッズの販売で大賑わいです。

チケットを購入し、立佞武多の館に入場します!

こちらが立佞武多です!!高さはなんと約22メートルあります( ゚Д゚)

この1階からエレベータで4階まで上がり(ちょうど立佞武多も4階くらいの高さ)、3体の立佞武多の周囲を囲んだらせん階段を下りながら、実際に披露される立佞武多を観たり、立佞武多の起源や歴史を学ぶことができます。

4階から見た立佞武多です。洗練された色付けと形状、迫力のある大きさに見入ってしまいます。

こちらは明治末期の40年代に撮影された大型ねぷたの写真です。

明治から存在していたねぷたですが、大正時代には電線が町内を網羅するようになり、ねぷたは縮小を余儀なくされました。大型ねぷたは高さよりも、青森ねぶたのように横幅の広さや、弘前ねぷたのような美しさに発展の方向性を見出すようになったのです。

五所川原でも台座に趣向を凝らして小型のねぷたを製作していましたが、昭和後期には独自で作らず他の市町から買い受けはじめ、「五所川原のねぷた」は輝きを失っていきました。

しかし昭和54年に五所川原市で開かれた町の歴史の写真展で、明治時代のねぷたが披露されました。それをきっかけに、ねぷた復活をひそかに願っていた五所川原の人々は、上のような当時の写真や設計図を頼りに試行錯誤を繰り返し始めます。そしてついに平成8年、立佞武多を復活させたのです。

平成10年からは五所川原市の支援を受け、正式に市内を運行するようになり、現在では夏の風物詩として県内外の多くの人々を魅了しています。

これが三大ねぶた祭の一つに数えられる五所川原ねぷたの歴史です(‘◇’)ゞ

今回はついでに2階の彫刻の展示も鑑賞してきました。中は残念ながら写真撮影禁止でした。

また、3階では実際にねぶたを制作している様子を見ることができました。

 

以上が立佞武多の館です。さぁ、もうすぐ祭りが始まります!

 

立佞武多|五所川原市

17時30分になり、「立佞武多の館」のガラス扉が開きました。迫力ある搭乗に大勢の人が湧きました。

今年初披のねぶたの刀部分が出入り口に引っ掛かるという事件も!(;・∀・)


しかし針金で出来ているせいか、扉に引っ掛かりながら少し曲がり、扉を抜けると元の形に戻りました(笑)

無事に三体の立佞武多が出た後、祭り開始まで少し時間があったのでタコ焼きを食べました。

なお、このように有料の観覧席もあります。

大きな3体の立佞武多が移動し、大きな交差点の広場に集まりました。そこでは祭りの開会式が行われ、青森県知事や青森出身の議員などが挨拶をされていました。


なお、一番拍手が大きかったのは、青森出身の女性議員で「私は早く祭りを見たいのでこれで挨拶を終わります」と10秒に満たない挨拶をされたときでした(笑)

祭りが始まりました。大きな太鼓が出陣です。

「やってまーれ」の掛け声と共に動く立佞武多|青森県五所川原市

「やってまれ(やってしまえ)」と威勢の良い声と共に、綺麗な楽器の音が鳴り響きます。あまりの混雑に警察官も大変です。

移動を始める巨大立佞武多|青森県五所川原市

大きな立佞武多も移動し始めました。間隔を置いて(その間は太鼓や踊り手が移動)新しい順に出陣します。大きく迫力のある立佞武多に大勢の人が湧きましたヾ(*´∀`*)ノ

 

ちょうど終わりかけの時に雨が降ってきてしまいました。急いで五所川原駅に戻ります。


ねぶた祭りの時期は臨時列車がたくさん通ります。弘前駅直通の電車で弘前駅に戻ります。

今日は弘前さくらホテルにお世話になります。弘前駅から徒歩5分くらいで、イトーヨーカドーも近い便利で綺麗なホテルです。

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今回は以上です。明日は白神山地の十二湖を探索する予定です。ところが・・・?(; ・`д・´)

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